スギとヒノキと教材と
皆さん、こんにちは。
全教図です。
さて、先日、紹介しようとして失敗したスギとヒノキのお話。
花粉症の方には嫌なタイトルかもしれませんが、くしゅんとすれば飛ぶようなお話です。どうぞお付き合い下さい。
読んでいた本は、司馬遼太郎著「余話として」。
その中に収録されている「春日の大杉」という話の中に書かれています。
それによれば、スギに価値が見出されたのは室町時代。それまではヒノキだったという。
杉の重用は茶道からはじまった、ということは、寡聞ながらどの茶道史にも書かれていないようにおもえるから、私は興をおぼえた。なるほど、それまでの、あるいはそれ以降でも、上等の建造物となると、みなヒノキである。
引用するために打ち込んで感じたのですが、
ここを読むだけで、あ、司馬遼太郎だ。と思わせる筆致はすごい。
とくに、「なるほど、それまでの、」と 書いて「である」で終わるこの流れ。
しびれます。
話がそれました。
茶道が台頭してくると同時に民間で使われていたスギが茶室建築も用いられ、床材などにも使用されるようになって「スギが建材の王座を占め」るようになった。と指摘しています。これまで高級木材はヒノキだけだったのが、スギもその地位になったのです。
言われてみれば屋久島にはウィルソン株という大きな切り株があるのですが、それは大坂城(または方広寺)の建立に使われたスギの跡と言われています。豊臣秀吉の頃には、スギの地位もかなり向上している証左じゃないですか!
一度見たことがありますが、本当に大きな切り株で、自分の部屋より広い切り口で、いろんなショックを受けたのは良い思い出。
さて、そこのところを司馬は「ヒノキが公卿華族で、杉が大名華族といえるかもしれない」という分かりやすい例えで表現しています。うまいですねぇ。ちなみにヒノキは、京都御所、伊勢神宮、各大名屋敷などで用いられているそう。
ヒノキ。確かに檜舞台に檜風呂などちょっと特別な感じがします。総ヒノキ普請で家を造ったなんて言えば、どんだけのお金持ちだ、と言いたくなります。
では、なぜヒノキなのでしょうか。答えは日本書紀にありました。
第八段一書第五に「スサノオノミコトがヒゲを抜いて散らすと杉になり、胸の毛を抜いて散らすとヒノキになった」(意訳)と書かれています。その後、ミコトから「檜可以為瑞宮之材」。ヒノキは宮殿の材として用いらるべし(と読めばいいのかしら?)とのお達しがあり、そうなったようです。ま、スサノオノミコト様に言われてしまえば、そうするしかないですね。ヤマタノオロチを倒す人?だし。天界の暴れん坊も、こっちの世界では良い働きをしてるんですね。
このエピソードは国語の神話に使えるのでしょうか。
さて、ここに書いたエピソードをどんな教材を用いて扱うか。
地図を用いるのも楽しそうなのですが、
ここはあえて、
まとめでおぼえる日本の歴史
今回の紹介したスギとヒノキは、使える建材が増えた、というだけではありません。
茶道という1つの数寄が文化を変えた。
といえます。方向転換とまではいかなくとも、大きな塊がぶつかり、新しい形になった。
鉄砲伝来によって戦いの仕方が変わったように、建築が変わり人々の生活が変わったのです。
そんなダイナミックな歴史のうねりを子供たちに伝えたい。
先生の気持ちの一助となる教材です。
是非、ご検討ください。
では、また!