町歩きをしてみました(岩淵水門編)
皆さん、こんにちは。
全教図です。
教材を作っていると、その教科をもっと知りたくなります。
社会科の教材を作っていると、特に地図を眺めているとどうしても町歩きがしたくなってきました。仕事から逃げようとしてるわけではありません。そんなわけで、休みの日に地図を持って歩いてみました。ちなみに歩いたのは3月上旬です。
埼玉県と東京都の境界線を流れる荒川です。撮影したのは埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ新荒川大橋です。右に見えるのが、旧岩淵水門、その奥にあるのが現在の岩淵水門です。昨年の台風19号ではかなりの活躍をしたようです。あの土砂降りの中、開閉の調節をどのような方法で行うのかは不明ですが、近くで見るとどちらもどっしりとした雰囲気で、自然と向き合うにはこうでなくてはならない、という見本を見た気分になりました。
この岩淵水門から先で、荒川と南側に流れる新河岸川が合流し、隅田川となります。昔の地図を見ると荒川と新河岸川がウネウネしており、現在の姿になるまでかなり変化があったようです。現在の埼玉県と東京都の県境が川の向こうにあったりこちらにあったりするのはその名残ですね。
こちらのサイトでいろいろな資料が掲載され、とても参考になりました。
特に「荒川放水路変遷誌」を読むと、江戸時代から現代まで荒川とそこに住んでいる人がどのように向き合ってきたのかがわかりやすく説明されています。水運と鉄道輸送、水害、放水路計画。特に放水路計画は20年の歳月がかかり、1300世帯が移転をしたとあります。ダムの工事で移転する人々の話を耳にするのですが、荒川を今の形にするために移転を余儀なくされた方々がいるというのはこちらで知りました。
自分たちの住んでいる場所にどのような川が流れているのか、を授業で調べることは多々あることと思いますが、地図を用いれば、その川と土地利用や交通がどのような関係があるのか、などにつなげていけることを実感しました。主題図があればなおさら良いのでしょうが、小学生には難しいのでしょうか。
地図を見ていると、今は廃線になってしまった鉄路の痕跡も見付けることができます。ちょっと小さくみて見づらいかも知れませんが・・・。
また、昔の地図を見てみると、かつては軍の工場があったこともわかりました。今はトレーニングセンターや比較的規模の大きな公園がありますが、全体的には閑静な住宅街となっています。どのような変遷で町が成立したのか、今と昔の地図を眺めているとわかってきます。しかし、どのようなところなのか、は自分で足を運ばないとわかりません。実際、高台と下町では雰囲気が異なります。大きく分けて静かな住宅街と活気溢れる商店街といった雰囲気でした。昨今のコロナの影響もあってフィールドワークを取り入れるのはなかなか難しいとは思うのですが、サポートできる備品教材を考えていきたいと改めて思いました。
では、また。